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1995年7月文書:パソコン通信時代のドキュメントです

パソコン通信で教育用フリーソフトの活性化を

 私は、公立中学校の教師として,ここ数年は「小中学校での望ましいパソ コンの活用」をテーマに、コミュニケーションの広がりが味わえるパソコン通信を活用して、授業用のソフトを作ったり、授業を実践をしてきました。パソコン通信でこそ味わえた偉大な威力、それは次の2点があげられます。  


●出来たての新鮮なソフトや追加情報を自らの手で思いのまま提供できる●

 ソフトウェアに完成品はありえません。機能更新やバグの訂正を重ねて いくのが自然な姿でしょう。ましてや授業の合間に作成した自作の教材といったら 、それは推して知るべしです。パソコン通信に参加していなかった頃は、そういっ た更新した情報は電話で知らせるとか年に1回の研究会ぐらいしか報告する手段は ありませんでした。
 しかし、パソコン通信は月に1回とか年に何回といった時間的な制約もなく、作者自らの手で、またいつでも自分の都合にあわせて、更新した情報を気軽に公開できます。

 また、自分が作ったまったく同じソフトでも、配布方法が違うと反応まで違います。

  1. 市販のルートをとおして配布したものからは、賞賛やレポートはまず来ない、 苦情は来る。
  2. 直接の手渡しや郵送であげると、いつまでも旧バージョンのままで使われてしまい、忘れた頃に、問い合わせの電話がやってくる。
  3. パソコン通信上でフリーソフトとして配布したものからは、喜びの声や有り難いレポートも来る。

といった具合です。時間にとらわれず、時間をこえ、そして気軽に主体的にコミュケーションができるメディア、それがパソコン通信なんだなと実感した次第です。


●つくる人と食べる人との双方向のコミュニケーションが味わえる●

 月々2000円の固定料金制でつなげること、ゴミを散らかしてもあんまり怒られな いことぐらいがきっかけでしたが、数年来私はもっぱらPC-VANのSTS(教育とソフト) SIGに参加してきました。
 この SIGでは登録したソフトについての感想や作者からの メッセージはフォーラム#1の喫茶室や#9の評価室に寄せられます。そこでは「さっ そく落としましたよT/O」といったわずか1行のメッセージもあれば、賞味後の感想 、そして作者にも思いつかなかったグッドアイデアなどの便りが毎日刻々と寄せられ、交わされています。最近も自分のところの中学生用に作った拙作が、小学校や養護学校の子供たちにまで利用されているという書き込みをもらって、自校だけの実践で終わらせていたのでは味わえないコミュニケーションの広がりを感じたこと がありました。
 パソコン通信をとおして、さまざまな便りから大きな励みを味わえると、自分だけの力で出来たといった気張った気持ちも消え失せて

といった願いや発想も自然に湧いてくるものです。

 また学校の中で日々子供たちに追いまくられて過ごしていると、教師という職業柄、気づかぬうちに視野がせまくなるもの。そういうせいか、小・中・高の校種はもちろんのこと、職業や年齢そして地域もこえて、広く参加でき、狭い世界にとらわれない広がりと深まりが味わえることもパソコン通信の醍醐味だなあ、エネルギーだなあと感じています。


●以上,パソコン通信で遠隔共同実践の輪の広がりを●

 最後に「21世紀にたくましく生きる子どもたちを育てる」ための提言を。

 以上、最近では教育用にも市販の優れたソフトが揃いだし、教師が1人力で授業用のソフトを自作するとか、作ったけれどもその本人にしか使われない、広まらないという試行錯誤をしている時代でもなくなりました。しかし、自分が教えている子どもたちの実態のピッタリあう 市販のソフトというのはありえないし、教師としてもっている授業改善への願いというのは自作のソフトを生む大きな原動力となるものです。

 CD-ROMで入手するソフトだけからは時間の壁を越えた最新情報は得られませんし、作者との双方向のコミュニケーションも期待できません。ぜひここでの出会いをご縁となって、一人でも多くの方々にパソコン通信へ教育用ソフトウェアを無償で公開していただき、実践の共有化へ向け、点から線へ,線から面へと共同実践の輪が大きく広がっていければ幸いなことだと思います。


以上,「PACK8000 1995年後期版(Vector Design)1995年7月」への拙稿より。

 執筆の当時は確かに「パソコン通信こそが活性化の原動力」でした。その後,時代は一気にインターネットへと加速。しかし,当時の文書をこのようにHTMLにして振り返ってみると,述べてある願いは時がすぎても変わらないように思います。
 むしろ「ものを個々に所有する」時代から「情報を互いに共有する」時代へという大きな潮流の中で,当時の願いは,より意義あるものになっているのではないかなとも感ます。 (1998年6月)


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