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My Roots


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My Roots考・・・その後

2006年12月29日

祖父『大曽根 寛』の足跡を逐ふ
北の大地・最果ての海に賭けた故人の生前を偲んで開設したものです

2007年2月17日



  1. 『大曽根姓の系譜考』

     我が家の仏壇には江戸時代文政年間の頃からのご先祖様の戒名や歿年月日等が記された位牌があります。しかし「おおそねさんって、めずらしい苗字ですね?どちらのご出身ですか?」といった素朴な問いかけに十分答えることもできないまま、気がついたら壮年初老期を迎えました。
     そこで仏壇周りから文献資料が見つかった2005年の締めくくりに、年の瀬のポカッと空いたつかの間のひとときを利用して、我がルーツに向き合ってみました。
     お粗末な考証ですが、その結果大きくふくらんできたのは「今の家族の絆を大切に、過去へ感謝しつつ、未来へ希望を抱いて生きていこう」という想いでした。それでは、よろしければ少々お付き合い下さい。

     以下は、『系譜の研究(大森忠康著)』誌からの引用です(手元にあるのはコピーのため、出版社・発刊年等は不明)。また資料が不鮮明で完全ではなく十分に読み解くことはできていませんので、欠落部分は多々あります。


    1. 藤原北家魚名流時長裔
      1. 安達藤九郎盛長の子に時長あり。鎌倉幕府の評定衆にして、子孫三河国大曽根庄に居住して大曽根氏を称す。三河国は安達氏守護の国なれば、族裔ここに興る。
      2. 時長の孫を大曽根和泉守敦長と云う。保元の乱(1156年)に、勇戦せるも時運にあわずして源氏衰亡のときに当たりて、常陸国に配流さる。・・・(途中略)・・・常陸国太田市にあり、代々佐竹氏の世臣たり。慶長7年(1602年)、佐竹義宣、関ヶ原の役に西軍に属せしため、常陸太田54万5千石を徐封され秋田20万5千石に移さる。大曽根の当主政録は多病により常陸に止まり、弟政詮、政教らは秋田に移る。政録の子昌光は民伍にかくる。

       

    2. 藤原北家師実流
      • 上総大曽根氏は土岐氏の世臣なれば、土岐氏の常陸より上総に移りしとき、行を伴にせし。

       

    3. 秋田城介安達氏の支流
      • 安達盛長の子、秋田城介景盛の弟に時長あり。羽前国最上郡大曽根庄に居住して、大曽根次郎兵衛と称す。

       

    4. 宇都宮氏族八田氏裔小田氏支流
      • 源義朝の子八田知家、宇都宮宗綱の養うところとなる。数子あり。嫡知重、八田氏を嗣ぐ。時家小田氏を称す。筑波郡大曽根より起こりしか。大曽根氏この庶流なりと。大曽根には八田大和守信房の遺跡あり。

       

    5. 武蔵の大曽根氏
      • 先祖を大曽根飛騨守といい小田原北条氏の没落後、武蔵の地に移り、中頃金子にあらため再び大曽根に戻す・・・(以下略)

     いくつかの系譜中に、三河、常陸、上総、最上、筑波、武蔵など『大曽根姓』にゆかりの地名が次々に登場してきました。このいずれかが、巡り巡って現在の自分へと至るものと思われるのですが、結びつけるあと一歩の決定打はどこにもみあたりませんでした。数日程度の考察にて解明できものではないということなのですね。

     そこで、以上のような文献考証の作業とあわせて、インターネット上の手軽な検索やコンピュータのデータベース機能の威力を借りて『大曽根姓』の由来にあたってみることにしました。


  2. 『大曽根』姓の由来地名・地域、公的機関について

     国土地理院のホームページ上でキーワードを「大曽根」として全国各地の地名、地域名、公的機関名から検索表示してみました。結果は以下の通りです。
     
    ● 大曽根山  (おおそねやま)  /  福島県南会津郡南郷村
    ● 大曽根山  (おおそねやま)  /  福島県南会津郡只見町
    ● 大曽根山  (おおそねやま)  /  福島県大沼郡金山町
    ● 大曽根  (おおぞね)  /  茨城県つくば市
    ● 大曽根  (おおそね)  /  茨城県桜川市
    ● 大曽根  (おおそね)  /  埼玉県八潮市
    ● 大曽根  (おぞね)  /  千葉県袖ケ浦市
    ● 大曽根三丁目  (おおそね3ちょうめ)  /  神奈川県横浜市港北区
    ● 大曽根台  (おおそねだい)  /  神奈川県横浜市港北区
    ● 大曽根  (おおぞね)  /  新潟県新潟市
    ● 大曽根  (おおぞね)  /  山梨県上野原市
    ● 東大曽根町  (ひがしおおぞねちょう)  /  愛知県名古屋市東区
    ● 大曽根一丁目  (おおぞね1ちょうめ)  /  愛知県名古屋市北区
    ● 東大曽根町  (ひがしおおぞねちょう)  /  愛知県名古屋市北区
    ● 東大曽根町本通  (ひがしおおぞねちょうほんどおり)  /  愛知県名古屋市北区
    ● 大曽根浦  (おおそねうら)  /  三重県尾鷲市
    ● 大曽根山  (おおそねやま)  /  鳥取県米子市
    ● 大曽根  (おおそね)  /  岡山県岡山市
    ● 大曽根  (おおそね)  /  長崎県五島市
    □ 市立大曽根小学校  /  山形県山形市
    □ 市立大曽根小学校  /  茨城県つくば市
    □ 市立大曽根小学校  /  埼玉県八潮市
    □ 市立大曽根小学校  /  神奈川県横浜市港北区
    □ 市立大曽根中学校  /  愛知県名古屋市北区

     

  3.  検索の結果は、上の文献にも出てきた常陸(茨城県)、上総(千葉県)、三河(名古屋市)等という祖先にゆかりの地域に、ゆかりの地名や公的機関名が現存していることが一目瞭然の事実として得られました。
     一般的に「苗字の8割は地名発祥から」といわれていますが、大曽根姓も地名発祥であることに間違いなさそうです。

     

  4. 『大曽根』姓の方々の都道府県別分布を読み解く

     そこで、さらに手持ちの全国版電話帳CD-ROM(2004年版)から現在の『大曽根』姓の方々がどのような都道府県にお住まいしているのか〜均等か局在か〜を検索し、その様子をグラフ化してみました。



     結果はご覧のように第1位常陸国(茨城県172件)第2位上総国(千葉県96件)、第3〜4位武蔵国(神奈川〜埼玉)、第5位三河国(愛知県68件)などという具合となりました。一人もいらっしゃらない県が19県ほどありました。この結果から大曽根姓の方々は地名発祥の地に多くが居住しているということが明らかとなりました。

     それにしても江戸時代文政年間から宮城県に在住してきたという我がルーツはこの地図上の何処国とつながっているのだろうか、改めて謎は深まるばかりとなりました。

     また、大曽根姓の多い順に第9位が宮城県14件、第10位が大阪府13件と続くのですが、大阪府の13件がどうも気になってしかたがありません。
     大阪府には宮城県古川市の出身で、東北学院を卒業後大阪市立盲学校に奉職、アメリカに渡米後ろうあ者の指文字を考案普及された大曽根源助氏のお孫さんや曾孫さんたちがお住まいになっているはずだからです。
     源助氏は私の祖父と従兄弟の関係にあり、その父源蔵(雅号柳崖)による水墨画は我が家にとっても家宝そのもの。源蔵のお墓も古川の瑞川寺にあります。大阪まで簡単に足を運ぶことも叶わないだけに、このようなホームページがご縁となれば有り難いことだなあとつぶやいているところです。

     ■『源助』氏と『指文字』へのリンク

  5.  


  6. 『大曽根』姓の珍しさ考・・・My Roots考とは直接関係ありませんが(^.^)

     苗字の全国ランキングを表示するサイトがあります。そこから『大曽根』姓のランキングを抜き出してみました。

       順位 苗 字  平均件数
          1 佐藤   456,430
          2 鈴木   403,506
          3 高橋   335,288 
       ・・・・・・・・・・
         87 小山    46,858
       ・・・・・・・・・・
        156 川村    31,366
       ・・・・・・・・・・
        231 小野寺  22,434
       ・・・・・・・・・・ 
        791 曽根     5,739
       ・・・・・・・・・・
       2953 三塚     1,073
       ・・・・・・・・・・ 
       4107 大曽根     680
       4295 曽根原     633 
       4570 中曽根     576
       6030 大根       381  
        6555 曽根田     339 
       6692 小曽根     330
       8844 石曽根     212 
       ・・・・・・・・・・
      

     結果は、以上の表のように4107位の『大曽根』姓の後ろにも4570位『中曽根』さん、6030位『大根』さん、6692位『小曽根』さんという具合によりマイナーな類似の苗字の方々が続きましたが、『大曽根』姓も全国でわずか680件の4570位。ランキング全国第1位の『佐藤』さんと比較すれば、約700名の『佐藤』さんに対して約1名いるかいないかといった割合ですから、確かに珍しい苗字の仲間なのだという認識を新たにすることができました。

      ■『苗字館』へのリンク


My Roots 考 から Our Roots 考へとたどりつく  

 きちんと整えられた系図、家系図というのは見てすごいなあと感じるものの、複雑に線が描かれていて生々しく、どうも好きになれないといった感覚でいました。
 そこで私が近頃使いはじめた系図〜図面を紹介します。それは次のようなものです。

 

 当たり前のことですが、人間には誰にも父母があり、その父母にもまた父母があります。その父母にもまた父母があるというようことがこの図面から読み取ることができます。また父から受け継いでいるDNAは2分の1、祖父一人から受け継いでいるDNAは4分の1,曾祖父一人から受け継いでいるDNAは16分の1という具合に、いわゆる直系の祖先だけを追っていては現在の自分を読み解くことはできないといったことも、この図面からは一目瞭然です。

 私は受験勉強に挑戦中の我が子への励まし用にこの図面を使いました。あなたは両親はもちろんのこと、多くの祖先に見守られて今を生きているかけがえのない存在なのだよ。この中の誰一人として欠けることなく命のバトンタッチがされて今のあなたがあるのだよ。このように多くの祖先から受け継がれ〜今のあなたの持ち味や個性のもとがあるんだよ。等といったことを語ってあげました。

 もちろん受験突破の学力は遺伝30%、本人のやる気30%、親の意気込み30%、運10%などといわれるように、遺伝因子だけで決定づけられるものではありません。受験突破で大きいのは環境要因であって、本人の努力にも増して、家族や周囲の応援が大きな鍵であると思います。よって、以上の話しは神妙な顔つきで聞いてくれましたが、この図面がどれだけ本人の励ましとなったかは残念ながら不明です(^.^)。

 それにしてもこの図面は、一般的な系図・家系図と違って、どんな誰にでもあてはまる非常に普遍的な血縁図であると思います。


 またこの図を、2人の父母、4人の祖父母、8人の曾祖父母・・・とさらに祖先へとたどってみましょう。
 (ここでは簡単計算できるよう、世代間の移動平均値〜親子の年齢差は20年としました。5世代で100年となりますね。親子の年齢差を25年とすれば、100年で4世代、250年で10世代、500年で20世代などと、以下は適宜読み替えてくださいね)

 10世代(約200年)さかのぼれば、あなたの祖先は1024人(左図)。多くの祖先に見守られ、命のバトンタッチがあって今の私があるということが、ちょっぴり実感できますね。
 

さらに20世代(約
400年)もさかのぼれば 今のあなたにDNAを伝えてくれた祖先の数は1,048,576人と約100万人を数えます(左図)。そして、この数は西暦1500〜1600年(室町時代)当時の総人口数とほぼ一致します。

 このことは換言すれば、当時の人々は今の私たちひとりひとり皆にとって全て共通の祖先であって、逆に当時の方々からみれば、あなたも私も全て遠縁の親戚関係にあるとさえ読み解くことができるのです。

 よってさらに鎌倉時代の頃までさかのぼって、○○○家の源流は藤原北家に有り云々といった文献に真正面から向き合うことにどれだけ大きな意義があるのだろうかという素朴な疑問もわいてきます。

 インターネット上には自分の祖先は桓武天皇、嵯峨天皇、藤原鎌足公の45代孫などと称して家系図を公開されている方々がいらっしゃいます(その一例のリンク先)。

 我が家系(My Roots)を尊ぶ気持ちは理解できますが、例えは現在の自分を起点にすれば30世代(約
600年)も前のご先祖様お一人から頂くDNAは約10億分の1にしかすぎないのです。

 ※ 信長の17代末裔フィギア選手の織田信成君でみると、信長から頂いたDNAは13万分の1(左図)

 即ち、40〜50代の祖先までさかのぼれば、藤原鎌足公、平清盛や源頼朝など歴史上の人物のDNAは、巡り巡って広く薄く現代を生きている全ての日本人に受け継がれているとみてさしつかえないのですから、我がルーツのみにこだわって脈々と続く我が家系図だけを誇るというのは滑稽で無意味に近いことだとさえ思います。



 My Roots考 から Our Roots考 への発想転換が必要だなあと思いました。我が所有の我がルーツ感から日本人皆の共有のルーツ感への発想の転換です。  
 また視点を180°向きを変え、この図面の右四隅の女の子や左四隅の男の子の一人が現在のあなただとしてみましょう。あなたの子、孫、ひ孫、その子というように逆の順、言い換えれば未来へとあゆみを進めていくと、今度はあなたが未来への架け橋、その起点となるのです。

 すると例えば4代先の子孫は、現在この世で過ごしている16人の方々から命を受け継いだ子となりますね。このようにみていくと、今は互いに他人同士と思って暮らしている人々同士が、数世代先の子孫からみれば共通の祖先となることも十分ありえることです。

 私は中学校の教員をしています。このようなことを思いめぐらすうちに、黒板にこの図面をチョークで描きながら、互いにいじめあったり争いあったりせずに、「過去に感謝しつつ、未来へ希望を抱いて生きていこう」などと語りかけたいものだとふと思いました。

 以上 私は我がルーツを探ろうと考察を始めた結果、My Roots から Our Rootsへという結論にたどり着き、また、祖先と子孫が結びつく場、それが家族であり、家族は未来への架け橋であることにも気づかされました。

 2006年の新春にあたり、
過去へ感謝しつつ、未来へ希望を抱いて、家族の絆を大切に生きていこうと改めて意を強く感じた次第です。

2014年3月に試みた『命のバトン 自分の番』


ご精読おつきあいありがとうございました。
(2005年12月31日)




もう少々お時間がありましたら、
こちら化石の森探検サイトで記しております
『人類の過去未来

もどうぞおたずねください。


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最終更新日 :2007年2月17日


2006/01/01〜

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